雑記、エッセイ

吃音について | 吃音であることと28年間向き合って考えてきたこと

自分は吃音である。

物心ついたときからずっとその自覚があって、小学生のときや4つ離れた兄から真似されたり馬鹿にされたのは今でも印象的な場面として記憶している。

28歳となった今でも吃音なのは変わっていないし、最近では仕事のプレゼンの場面で吃って空気が凍ったこともある。

正直自分の最大のコンプレックスだと思うし、一生この性質とは向き合って生きていかなくてはならないと思ってる。

ネガティブな面しかないこの性質だが、今ではなんとか自分の一部として受け入れられていると思う。

そう思うことができた過程をこの記事にしようと思う。

コンプレックスとして

だいぶしばらく(というか今でも)吃音であることはコンプレックスとして自分に刻まれている。

子供の頃は悪意を持って話し方を真似されたりして馬鹿にされたことはよくあった。
特に兄から同じことをされた時は結構心に刺さった記憶がある。

年を重ねてそういった特徴を揶揄されることは少なくなったが、反面「今僕と話してて心の中で嘲っていないだろうか」といったことを心の中で考えることが多くなった。

特に苦労したのは就職活動の面接の時や仕事でプレゼンをするような時だった。
そういった場面の多くは僕に緊張感を感じさせ、吃っていまい、またそれが相手の顔色を窺い吃ってしまうという負のループに陥った。

子供の頃はそう言った失敗をしたときは眠れない夜を過ごしたし、成人してからは酒を飲んで気を紛らわすこともあった。

考えが変わったきっかけ

いつか見たブログ記事。

正直内容はうろ覚えだが、「吃音を克服することは、自分自身が話し方に対して気にしないようになり自分に自信を持つことだ」といったことが書かれていた。

当時どうやって吃音が治るのかとか、なんで自分だけ上手く話せないとか考えていた僕にとっては雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

そのブログの著者は僕と同じような体験をしたことが書かれていたが、吃音に向き合う姿勢についても記載されていた。

このブログ記事を読んだことは自分と向き合うと言う観点で一つのターニングポイントになった。

(当時読んだブログは今僕がブログを開設するきっかけにもなってる。)

大学の時寮生活をしていたときのルームメイトの言葉

彼は容姿もよく女性への扱いも手慣れていて、はっきり言えば相部屋にならなければ腹を割って話すような間柄にはならかったと思える人物だった。

ある日彼から「お前の喋り方なんかそんな気にしてない」と何気なく言われたことがあった。

この会話は特に改まった状況ではなかったし普通の日常の一コマだったが、この言葉にはかなり救われた。
自分が自信を持って会話していいんだと考えられることができたきっかけになった。

大学を卒業して彼とはしばらく会わないが、間違いなく僕の人生を変えてくれたし今でも感謝している。

吃音になりづらい状況

色々自分を観察してきて次のような状況だと吃音になりにくいと考えている。

  •  心がリラックスした状態である。気心の知れた人、自分を認めてくれる人と話している時
    • 反対に緊張を強いられる状況や、威圧感を与えてくる相手の時は吃ってしまいがち。
  • 会話の中で反射的に言葉が出る時
    • (次は「〜〜〜」を言おう)と頭の中で考えて発言しようとするときは吃ってしまいがち
  • 感情や起伏を乗せて発音する時。
    • 反対に音読とかは吃ってしまいがち

このことから人との会話の際はなるべく自分の言葉で、感情を込めて話すようにしている。
また、面接などの改まった状況では、自分がプロビジネスマンであると思いそうなっているよう演技して話すようにする。

今僕が吃音と向き合うためにしていること

一番の心がけとして「自分の話し方を他人が見てもなんとも思っていない」と考えるようにしている。

僕は友人の顔にニキビが一つ増えていたとしても、特に何も思わないと思う。
それと同じことを自分の周囲の人が考えていると考える。

そして、そこで自分を下に見るような人であれば関わらないようにしている。(自分が疲弊するだけ。)

おわり

今回はブログを開設する以前からずっと書きたいと思っていた内容を書きました。

僕と同じ悩みを抱えている人がこの記事を見て少しでも、前向きになってくれたらそれに勝る喜びはないと思ってます。